【イスラエル】ユダヤ人側から見た虐殺。ヤド・ヴァシェム(ホロコースト記念館)へ行って感じたこと。

おはようございます。なお吉です。

現在、モロッコなのですが既にWi-Fi環境があまり宜しくありません。

本格的にアフリカ編に入った時のこと考えると中々恐ろしいです。

さてさて、今日は少し重たいお話。イスラエルでは切り離すことの出来ないホロコーストについてです。


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イスラエルは大まかに言って、約75%と大多数のユダヤ人と約20%と少数のアラブ人(残り5%はその他)により構成されている国です。

 

その多数を占めるユダヤ人は、過去に虐殺された歴史があります。

 

それがホロコースト

 

これはアウシュヴィッツ強制収容所等により、世界で最も有名な虐殺事件と言っても過言ではない程有名なお話。

 

僕も昔、ドイツのポツダムにある、ザクセンハウゼン強制収容所に訪れ、その凄惨な歴史に言葉を失ったことがあります。

 

ただ、これら強制収容所はどうしてもドイツ側から見たホロコーストの情報。

 

それに対し、エルサレムにあるこのユダヤ人虐殺記念館はイスラエル側から見たホロコーストの情報。

 

やはりより深くこの事件を知るためには双方の情報を得る必要があるため、その記録が残るヤド・ヴァシェム(ホロコースト記念館)へ訪問することにしました。

 

ヤド・ヴァシェムへの行き方

ヤド・ヴァシェムはエルサレムの旧市街から少し離れた場所にあります。

 

ですが、旧市街からトラム一本で行けるので、非常にアクセスは良いです。

 

旧市街の入り口となるダマスカス門近くにある、その名も”Damascus Gate”駅から乗車します。

 

トラムのチケットは駅設置の券売機で買えます。

 

ただ、片側1台しかなく、かなり混み合います。

 

SuicaのようなICカードもありますが、購入方法等は不明のため、旅行者は大人しく切符購入しておいた方が無難っぽいです。

 

片道5.9シュケル。

 

トラムに乗車後、この切符を車内にあるこの機械に差し込みます。

 

結構頻繁に無銭乗車の確認が入るので、この対応は乗車後忘れずに。

 

あとは簡単。

 

Mount Herzl行きへ乗り、終着点のMount Herzlで下車します。

 

おおよそ1時間掛からない程。

 

そこからは歩いて15分程で入り口が見えてきます。

 

 

ホロコーストの歴史と感じたこと

先程の大きな建物はインフォメーション。

 

インフォメーション内部はフリーWi-Fiとかもあってひと休憩するにはもってこいの場所です

 

また、ここで音声ガイドを借りることも出来ます。

 

ただ、日本語がなく、有料だったので今回僕は借りませんでした。

 

さて、中に入りましょう。

 

有り難いことに無料です。

 

内部はアスファルト造りであり、冷たい空気が漂っていました。

 

訪問時は平日ではありましたが、多くの人々でいっぱいでした。

 

この記念館に入り、まず飛び込んできたのが、ナチスドイツ誕生の歴史。

 

ナチ党が初めは本当に小さな政党だったのが、次第にドイツ国民から支持を集め、最終的に第一党になるまでの歴史を示しています。

 

そう、ナチスドイツは国民から選ばれて誕生したのです。

 

この事実は学生時代から知っていた有名な話でしたが、最初2%程の得票率だったのが、5年ほどで40%強もの得票率を獲得するなど、第一次大戦後のドイツ国民が”変化”を強く望んでいたことを改めて知ることが出来ました。

 

それもそうか、当時は敗戦や戦後賠償やらのせいでドイツ経済はどん底。新たなる”ヒーロー”の誕生を願ってやまない状況だ生まれていたのでしょうね。

 

あとは順繰り回っていきます。

 

展示を見て回って感じたことは、この当時のドイツでの”単一民族主義”の強硬さ

 

ナチスはアーリア人(インド・ヨーロッパ語族)に当てはまらない民族は脅威とみなし、徹底的な迫害や強制労働を敷いていました。

 

その対象として一番の槍玉に挙げられていたのがユダヤ人でした。

 

彼らは強制移住をさせられ、強制労働を強いられます。

 

当然、補給もままならないため、多くのユダヤ人が餓死していきます。

 

ただ、ナチスによる迫害はさらに拍車が掛かり、強制労働から大量殺害に舵を切られていったようです。

 

ここにはアウシュヴィッツ強制収容所に関する展示も多数ありました。

 

ここで一番感じたのがまさにこの通り。

 

行き過ぎた単一民族主義の結果、ユダヤ人自体を根絶やしにする方法まで考えが傾いていったのだと。

 

つまりナチス自身、ユダヤ人に対する理由のない強迫観念があったのではないかと感じました。

 

決して許されることではないですが、ホロコーストに明確な実行理由なんて存在しないのではないかと、この記念館の資料を見ていて感じました。

 

記念館を見て回っている最後の方に一枚の興味深い資料がありました。

 

ホロコーストの被害者数一覧。

 

一番の被害者数が多かったのが、ポーランドだったこと。

 

これが僕的にかなり驚きの事実でした。

 

元から住んでいたユダヤ人数も去ることながら、その90%以上もの人が殺害された事実。

 

ワルシャワ蜂起も含め、第二次大戦の主戦場がポーランドだったことを改めて示した資料だと感じました。

 

その事実を本当に最近まで知らなかったので、これは個人的に中々恥ずかしいことでもありました。

 

せっかくヨーロッパを旅するのであれば、その土地土地でもっと世界史についても勉強していく必要性を改めて感じました。

 

この記念館の最後には、ホロコーストの犠牲者のほんの一部の写真が掲示されています。

 

当然、彼ら彼女らにも人生がありました。

 

そう考えると胸が苦しくなります。

 

ただ、僕達に出来ることは本当に”知ること”のみ。

 

カンボジアでクメール・ルージュの悲劇を見た時と同じです。

 

この”知ること”が、この歴史が再現されないようになる抑止力になればと切に願うばかりです。

 

まとめ

このヤド・ヴァシェムに来た最大の目的、イスラエル側から見たホロコーストとドイツ側から見たホロコーストの違いについてですが、ヤド・ヴァシェムの方がホロコーストを初めから最後まで時間軸を元に展示しているのに対し、アウシュヴィッツやザクセンハウゼン等強制収容所はそこで起こった大量殺害をより深く展示していると言う点で、広く浅くか狭く深くかの違いはあります。

 

ただ、主内容についてはほぼ一緒のことを語られていたように感じました。

 

つまり、どちらの視点からでもホロコーストは繰り返してはならない悲劇だと。

 

一旅行者の立場ですが、本当にそう願うばかりです。


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6件のコメント

  1. はじめまして。今アンマンに滞在中明朝エルサレムに立つ予定です。ブログの情報はわかりやすく大変参考になり、というか丸ごと拝借して予定を組んでいます。私はポーランド、アウシュビッツビルケナウ収容所へ行きました。まさに言葉を失う場所。雪の降る極寒の季節だったこともあり、敷地の広大さと環境の厳しさに気が遠くなりました。エルサレムのホロコースト記念館の事は全く知らなかったので、この記事は貴重な契機です。ありがとう。本当はものごとの美しい面だけを見たいのだけど。旅はそうでもない。新年は新しい気持ちで。良いお年を。
    うございます。

    1. コメントありがとうございます!
      誰かの旅の参考になればと思い書いている節もあるので、嬉しいお言葉です。
      エルサレムもパレスチナ自治区等、人種問題を抱える場所が多々ある地域なので、ぜひ色々探索されるのをオススメします。
      良い旅を!

  2. 16枚目の画像は被害者数ではなく、当時のユダヤ人がどこにどれだけ住んでいたかでした。

    ご報告までに。

    1. ご指摘ありがとうございます
      「Victims」なので青字が戦前、黒字が犠牲者だと思うのですが違うのですかね?

  3. 今回初めてエルサレム訪問し、色々な記事が参考になりました、ありがとうございます!
    三日間の滞在だったのであまりしっかり見られず、この博物館の記事を興味深く拝見しました。
    アウシュビッツを訪問した時感じたのは、物凄い規模の組織的大量虐殺、これが本当にヒトラーの狂気のみで説明できるのかという疑問。
    この博物館で、何故ヒトラーが大衆の支持を得て大きくなったのかを詳細に記しているのはまさにここにあるのではと感じました。
    世界中に散ったユダヤ人達は、自分達の宗教、習慣を固く守り続けて周囲との同化を拒み、そして金融業等で財を成したことで、残念ながらそれぞれの場所で嫌われるようになってしまいました。
    そして一次大戦後、ドイツ敗戦による自分達の悲惨な状況と、日頃心の奥で持っていた負の感情を上手く刺激することで、ヒトラーは国民の支持を得たということ。ヒトラーがいなければあり得なかった虐殺ですが、誰もが目を背けて反対しなかったという現実。ここを訴えたかったのではないかと感じました。
    重要なのはまず知ること、それから考えること、考えるための背景知識をできるだけ増やすことだと、旅行するたびに痛感します。

    1. yokoさん

      コメントありがとうございます。まさに仰る通りだと思います。
      この大虐殺も振り切ったナショナリズムにおける”敵”という位置づけにされたに他ならないと思います。
      私も旅中は無知を恥じる場面が多々ありましたが、今だから思うのが「無知に気づく」というのも旅の醍醐味であるかもしれません。

yoko にコメントする コメントをキャンセル

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