おはようございます。なお吉です。
ようやくネット環境に帰還しました……ナミビアレンタカー旅、やっぱり色々波瀾万丈です。笑
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コトルの旧市街を満喫した後、次なる国ボスニア・ヘルツェゴビナに向かいます。
あまり有名ではない国ですが、世界史で習ったであろうかの有名な第一次世界大戦の契機となったサラエボ事件が起こったのがこの国。
とは言え、移動の関係上、一つの街に寄るだけなんですけどね。
※移動方法は上記記事を参照してください。
その街の名はモスタル。
ヘルツェゴビナ地方の最大の中心都市。
この静かな街には、今までで一番ユーゴスラビア紛争の爪痕がはっきりと刻まれていました。
こじんまりとした観光地、モスタルを歩く
まずは街中をブラブラと歩いてみました。
ここはムスリム系のボシュニャク人が多く、街中にはモスクが多く見られます。
街自体はかなりこじんまりとしているのですが、旧市街は結構な数の観光客で溢れていました。
一番の街の見どころは、このスタリ・モストという橋。
建設当時は世界で唯一のシングルアーチの橋だったそうです。
美しい石造りのアーチが特徴ですね。確かに綺麗。
ん?(゚A゚)
第一海パン男、発見。
飛ぶのか?
飛ぶのか??
飛びませんでした(゚A゚;)
なんでやねん。
どうやらここは夏にはクリフダイビングの大会が開かれるそうです。
その時は飛ぶのかな、彼。
そんな肩透かしを食らいながらもお昼時。
このスタリ・モストの側にあるレストランが凄く良かったので、ご紹介します。
Tima-lrma
ここのチェバピが絶品。
あまりの美味しさに2日間しか滞在しなかったのに2回も通っちゃいました。
さてさて、お腹も満たされたので街歩き再開。
とは言え、こじんまりした街のため見どころが少ないんですよね。
何か無いかなー?っと思い歩いていると
何やら大きな教会を発見。
間近で見ると鐘楼の大きさに圧倒されます。
外観はかなり真新しい印象のあるこの教会。
中はというと、
絶賛工事中。
道理でこの街の情報を調べた時に出てこなかったんですと。
ちょっと残念に思ってこの教会を離れようとした時、
ん?
この鐘楼、登れんの?(゚A゚)
3ユーロ。
途中までエレベーターで登り、それから階段で最上階を目指します。
階段の途中には幾つもの鐘がありました。
普通1つや2つかと思っていたので、これだけ多くの鐘が設置されている状況は意外でした。
さて、最上階です。
オレンジ屋根に白い建物群、そしてすぐそこにある山々。
その組み合わせが凄く可愛く、登ってきて良かったなーって思えました。
上から見てもそのこじんまりとした街ですね。
そんな可愛らしく綺麗な街なのですが、ここからも見ることが出来ます。
多くのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の爪痕を。
そう、ここモスタルはヨーロッパ最悪の紛争と言われているボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の爪痕を数多く、且つ生々しく残ってある街でもあるのです。
悲劇の爪痕残す多く建物とスナイパータワー
観光地化されている旧市街は綺麗に整備されているのですが、モスタルのその他の通りを歩いていると、紛争の爪痕が生々しく残されている建物を数多く見掛けました。
それは一見ただの廃墟のようにも見えるのですが、銃弾や砲弾の跡や荒廃した当時の物資など、ここが激しい戦場だったことをまざまざと残していました。
多くの旧ユーゴスラビア圏の国々では荒廃した建物は建て直されていたのですが、ここモスタルではこれらは放置され、自由に入ることが出来ます。
特に何か案内板や説明がある訳ではないのですが、この目の前に残されている衝撃的な環境だけで、ここでどれほどの激しい戦いがあり、どれほどの人の人生が捻じ曲げられたのかが想像出来るほど。
そんな建物の中で、最も印象深いものはここ。
スナイパータワー。
モスタルの大きな交差点にある廃墟。
元々は銀行関係のビルとして建設されていたのが、建設途中に紛争が始まった影響で建設は中止。その中断された建物を狙撃手が敵兵を狙い撃つ射撃場として使ったため、この名が付いたんだとか。
外壁には無数の銃痕が残されており、ここが激戦の中心地だったことが容易に想像出来ます。
ここも裏手から中に入ることが出来ます。
とは言え、裏手の石段をよじ登るという形になるので、注意が必要。
また、道中や屋内はガラス片が散乱しているため靴が必須です。
いざ突入。
中はまさに荒廃した建物そのもの。
至る所にガラス片や瓦礫が散乱していました。
ただ、ここは紛争後は若者たちのたまり場にもなっていたようで、数多くのグラフィティーがあったり、空き缶なども落ちていました。
夜ここに立ち寄るのはかなり危険だと思うので、日中のうちに来ておいて正解でした。
上層階に向かうには階段を使います。
このように全てむき出しになっているので、登る時は結構なプレッシャーでした。
上に行けば行くほど、陽の光が入るため明るさが増していきます。
また、比例して空き缶なども減ってきて、窓枠など当時の建物そのものの廃材が散乱しているのがわかりました。
また、建物内を歩いていると、完成間近だった場所も発見できました。
ここはエレベーターが出来るはずだった場所でしょうね。
下を覗けば底が見えないほど深いのがわかります。
これらのものから建設途中だったと言えど、今のようなむき出しの建物ではなく、ある程度完成された建物だったんだと改めて知ることが出来ました。
さて、スナイパータワーから外を見たらどのように見えるのか。
こちら。
大きな交差点や市街地が丸見え。
確かに照準を定めるには格好の場所ですね。
今ではただただ静かな街の中心を見下ろせる場所ですが、ほんの数年前は激戦の中心地だったなんて、この景色からは全く想像もつきません。
ただそれが事実だと、この街には無言のメッセージが随所に残されています。
僕に出来ることは本当に知ることだけですが、知ることこそ重要なように改めて感じました。
最後にスナイパータワーの出口に書いてあったメッセージが胸に刺さりました。
同じ街に住んでいた知り合い同士が民族が違うだけで殺し合いをしなければならなかった当時の状況は、本当に辛く悲しい状況だったのだと。
単一民族国家である日本では想像し難い状況ですが、多民族国家の持つリスクをここで再度考えさせられました。
まとめ
ベオグラードでNATO軍の空爆により崩壊した建物をご紹介しましたが、ここモスタルでは紛争当時の傷跡が本当にそのままの状態で数多く残されているので、民族間の争いの激しさを知ることが出来ました。
あまり見所が多い街ではないのですが、この傷跡から考えさせられることも多くあるので、来てよかったと思いました。
ではでは、今日はここまで!お付き合い頂き、ありがとうございました!
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